老眼、緑内障、白内障のスピリチュアルな意味をそれぞれ解説します。
老眼のスピリチュアルな意味
老眼になるスピリチュアルな意味は、「自分の内面に目を向けることが多くなる」ということなのです。
私たちは、赤ちゃんとしてこの世に生まれた時、周りを見る視力は通常高くありません。
生まれたばかりの頃は、世界がぼやっとして見えます。
これは、まだ、「この世界を見ること」つまり、「外の世界を見ること」を始めたばかりだからです。
この世に生まれてくるということは、私たちの目が合わせる焦点に大きな変化があるのです。
そして、赤ちゃんである私たちは成長と共に視力が成長していきます。
つまり、だんだんと外の世界を認識する力が身についていくという訳ですね。
そして、私たちはある程度歳を取ると、また世界を移動する為に、外へ向けていた意識を内へ向けるようになるのです。
その為、外を見る肉眼を使う回数や時間の長さはだんだんと減る傾向にあります。
これが老眼と呼ばれる現象です。
老眼になってきたと気がついた頃には、老眼になったことを悲しむよりも、あなたの内側を見る力を成長させたいものです。
あなたの内側にある感情や思考などをよく知り、今幸せでいるのか、また世界を移動するまでに何を済ませておきたいのかなどをしっかり見つめることを心がけましょう。
そうすれば、悔いのない人生を歩むことができます。
緑内障のスピリチュアルな意味
緑内障になる場合は、「自分を責める気持ちが大きい」というスピリチュアルな意味があります。
目の前に起こっている出来事や物事は、あなたが悪いからだと思い込んでいるようです。
その為、無意識にあなたのいたらなさや未熟さを責める気持ちが強くなっているようです。
あなたが緑内障を持つのだとすれば、あなたはあなた自身を叱ることを止める必要があります。
なぜなら、あなたは何も悪いことはしていないからです。
例え過去に過ちをおかしてしまったとしても、あなたはあなたを許す必要があります。
私たちは過去を振り返る時、自分自身を責める傾向があります。
なぜなら、「今ならもっと上手くできるのに」と、成長した後の目線から、過去の自分を見るからです。
例えるならば、3歳の時に書いた牛の絵を見て、「なんであの時もっと上手に書けなかったのだろう」と15歳になった少年が心を痛めているようなものです。
あなたの目の前にこの少年がいたら、あなたは何と声をかけるでしょうか?
「3歳だったから仕方ないよ!あの年では上出来だったよ!」と声を掛けたくなりませんか?
いずれにしても、あなたが緑内障を持つのだとしたら、あなたはいつも、十分頑張ってきたということを認める必要があります。
今までの頑張りがあるから今のあなたがいて、未来のあなたから見れば、今のあなたはまた未熟になります。
過去と今と未来の自分を比べることに、大して意味はありません。
意味があるとしたら、あなたがどれだけ成長をしてきているかを見定める時だけです。
過去や今、目の前で起こっている出来事は、あなたが悪いからではありません。
いつの時代も成長し続けていくあなた自身を愛し、未完成な出来事や環境をも暖かく見守る姿勢を取っていくことを心がけましょう。
白内障のスピリチュアルな意味
白内障のスピリチュアルな意味は、「自分のしてきたことを卑下している」というスピリチュアルな意味があります。
あなたはもしかしたら、あなたが思うように成功できなかったり、あなたが思うように生きてこれなかったのかもしれません。
白内障になったあなたが自覚するべきは、あなたの尊さと、あなたの素晴らしさです。
あなたの志しはきっととても高いのでしょう。
その為、あなたがあることに成功しても、何か素敵なことを成し遂げても、大したことに思えないのでしょう。
あなたはあなた自身を、公平に、素直に認める必要があります。
あなたの残した足跡は、本当に目も向けられないものでしょうか?
あなたは愛されるべき人間なのです。
だから、あなたはあなた自身を愛することが大切です。
あなたの功績や能力、心の優しさや賢さなど、今ある全てのものを愛して下さい。
その「自分を愛する心」が、あなたの目指すさらなる高みへと連れていきますから。
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