猫のスピリチュアルな意味、猫を飼う、猫を拾う、猫に好かれる、猫が横切る、猫が死ぬ、猫の死骸を見る、猫が神社にいる、野良猫のスピリチュアルな意味についてそれぞれお話します。
猫のスピリチュアルな意味
猫のスピリチュアルな意味は、「精神世界への入口の番人」です。
私たちが生きている世界は、物質的な世界と、スピリチュアルな世界(精神世界)がありますが、この2つの世界は本来、交わり合うべき世界です。
日常的な生活を物質的な世界でしていると、スピリチュアルな世界、つまり、エネルギーを感じて生きることを忘れがちになり、私たちは人生で辛い思いをすることが多々あります。
そのような時に、猫は現れます。
「大変な思いをしている今がチャンス!あなたのスピリチュアリティ(精神性)を思い出して!」とでも言うかのように、スピリチュアルな世界のゲートを猫は持ってきます。
猫は、いわゆるスピリチュアルな世界のゲートキーパーと言うことができるでしょう。
多くの場合、猫は私たち人間に何かをしようとすることはありません。
ただそこにいて、私たちが行動を起こすことを待っています。
その為、猫が私たちに近づいている時は、意識レベルの上昇や、魂の成長を伴う人生にシフトするチャンスがあります。
スピリチュアルな世界とは、エネルギーの世界と言い表すこともでき、私たちのサイキック能力と関係がある世界です。
猫を見たからといって私たちの精神性のレベルが上がる訳ではありませんが、猫が私たちの周りに出現している時は、私たちの物の捉え方や視点を変えれば、人生を好転させるチャンスがあるということです。
猫は、私たちの人生を好転させるきっかけとなる可能性を持つ、スピリチュアルな世界のゲートキーパーなのです。
猫を飼うスピリチュアルな意味
猫を飼うスピリチュアルな意味は、猫を迎える家の誰かや家族が守り神を必要としているということです。
スピリチュアルな世界の番人である猫が私たち人間と共に暮らすということは、猫を飼う人間や家族の人生が物質的な世界に重心が偏るサインです。
猫を家に招くということは、その人や家族がスピリチュアルな世界のゲートキーパーである猫を必要としているということです。
私たちの人生に困難なことが起こる理由は、私たちが気がつくべき何かがあったり、癒すべき何かと向き合う為であり、人生に困難が起こるからその人はダメだとか、何かが悪いということではありません。
ただ、何か大事なことを忘れているというだけのことです。
私たちは時に、その忘れている「何か大事なこと」に気がつくのに時間を要することがあります。
何か月も、何年も、時には、一生を通してでも気がつかないこともあります。
私たちが忘れている何か大事なことに気がつくことができない期間が長ければ長いほど、人生は辛いものとなっていきます。
気がついてしまえば、人生は意外とあっさりと好転するものなのですが、気がつくことに時間を必要とする場合、人生が下降気味になり、辛い思いをする期間も長くなり、辛さの度合いも重たくなる傾向があります。
そんな時に、猫は私たちと一緒に住み始めます。
「僕(私)が人生好転の入口だよ。気が済むまで辛い思いをしていいけれど、気が済んだら僕(私)を頼りに目を覚ましていこう」とでも言うかのように、「もうやってられない!」と方向転換をいつでもしがちな私たちのそばで、猫はじっとその時が来るのを待っています。
猫を拾うスピリチュアルな意味
猫を拾うスピリチュアルな意味は、猫を拾った人に「希望」があるということです。
「何かを変えたい」「何かを改善したい」「助けて欲しい」「幸せになりたい」「願いを叶えたい」などの希望を持っているのでしょう。
猫にすがりたい訳ではありませんが、自分1人で事を成すにはプレッシャーに感じてしまうような、「猫の手も借りたい」状況にあるのかもしれません。
あなたに猫との出会いがあって猫を拾った場合は、疲れ気味なあなた自身を癒すことを忘れないで下さい。
あなたの家族の人が猫を拾ってきた場合は、家族内に問題が無いか、見つめ直してみましょう。
猫に好かれるスピリチュアルな意味
普段は、私たち人間が行動を起こすのを待っている猫ですが、時々猫から行動を起こしてくる時があります。
猫の方から撫でて欲しいとやってきたり、後ろをついてきたり、膝の上に乗っかってきたりと、猫に好かれていると感じるような接し方を体験することがあります。
猫に好かれるスピリチュアルな意味は、その人が「助けを必要としている」ということです。
猫はサードアイをよく使う動物の1種類です。
物を肉眼で見ることよりも、サードアイでエネルギーを見ることの方が得意と言えるかもしれません。
その為、猫はサイキックであるというか、エネルギーフィールドを読むことが得意です。
なので、誰がどんなエネルギーを持っているかを見分けることができるのでしょう。
猫は、自分の仕事が来ると仕事に寄って行く傾向があります。
猫の助けを必要としていない人は、猫に嫌われることもありませんが、猫が「かまってかまって」状態になることもあまりありません。
私たち人間とやり取りをする猫の仕事は、私たち人間が辛さから解放される方向性へ導くことですが、基本的には、悲しみを抱える人をポジティブな道へ導くことです。
怒りなどのアクティブなエネルギーを持った人がいると、猫は「シャー」っと威嚇したり、逃げたりすることが多いです。
ですが、猫にスリスリと好かれる場合は、その人が悲しみ系の感情に縛られている可能性があり、そこから抜け出すことを導こうとする猫の自然な力が働いていることが一般的です。
「猫は癒し系」と言われることがあり、その通り、私たちは猫に癒されることがあります。
科学的には今だ解明されていませんが、猫がゴロゴロと喉を鳴らす時は、「愛、命の息吹、心を開く波動」のようなものを送り出しているようです。
まさに癒しの行為と呼ぶことができるでしょう。
猫に癒されていると感じる時は、感情や考え方、人生を好転させるチャンスがもたらされているということです。
人や環境を許し、愛する力を取り戻すことを心がけましょう。
猫(黒猫)が横切るスピリチュアルな意味
猫が横切るスピリチュアルな意味は、「変化が訪れる」ということです。
私たちには、生きている上で様々なサイクルを経験していますが、猫が横切った時は、1つのサイクルが終わり、新しいサイクルがスタートする可能性が高いです。
今考えていることや願っていることを見直しましょう。
今あなたが考えていることや願っていることが新しいサイクルとして始まる可能性が高いでしょう。
あなたがもしも、何かについて不安に思っていたり、嫌な感情を感じていたりすると、それが現実化していくかもしれません。
意識的に思考を確認し、受け取りたい結果に繋がるような考え方に切り替えておきましょう。
黒猫は、猫の中でも最も強い精神力を持つ猫ですが、黒猫が横切る場合は、「物質的な側面にこれ以上はまりすぎないように」というスピリチュアルな意味があります。
物質的な側面とは、精神的(スピリチュアルな)側面とは逆の方向性ですが、私たちは物質的な側面にはまってしまうと、人生にさらなる問題を引き起こしがちです。
物質的な側面とは、例えば、「地位を得たい」とか、「お金持ちになりたい」とか、「大きな家が欲しい」などのように、社会的に「裕福」とされている事柄のことです。
その逆に、スピリチュアル(精神的)な側面とは、例えば「心の優しさ」とか、「直観力、サイキック力」とか、「感性」などです。
黒猫が前を横切る場合は、私たちがスピリチュアルな側面の自分自身を忘れ、物質的な側面に重心を置いている可能性があります。
黒猫が目の前を横切った場合は、「物ごとの判断基準を頭より心に重きを置いているか」を確認するようにしましょう。
心に重きを置いていれば、様々な問題は解決していきますが、頭に重きを置いていると、問題が増えるかもしれません。
猫が死ぬスピリチュアルな意味
飼っていた猫やほぼ一緒に生活をしていたと言える猫が死ぬスピリチュアルな意味は、「死んだ猫が飼い主やその家族に加護を残した」ということです。
ご存知の通り、私たち人間や動物の肉体は、変容させなければ、永遠に保つことはできません。
猫が飼い主やその家族のもとで息を引き取るということは、神やユニバースと呼ばれている存在に、「この人(この家族)は見守り役が今必要です」という「引継ぎ」をしたと表現することができるでしょう。
猫に対する感謝の気持ちを忘れずに、勇気を持って前に前進しましょう。
亡くなった猫はきっとあなたが幸せになることを望んでいることでしょう。
私たちには、タイムリミットがあります。
人生を終える時に「やりたいことをやっておけば良かった」と悔いが残ることがないように、今を精一杯生きましょう。
猫の死骸を見るスピリチュアルな意味
見知らぬ猫の死骸を見かける場合は、「助けを求める場所を確認しなさい」というメッセージが届いていることを意味します。
人生に起こっている問題を、物質的な力で解決しようとしてはいませんか?
例えば、お金で問題を解決しようとしていたり、物を手に入れることで気分を変えようとしている可能性があります。
今一度、私たちにとって一番大切なものは何かを自覚することを心がけましょう。
同時に、私たちは自分の人生の責任を自分で取ることを必要とされます。
素敵なことが人生に起こったら「おかげ様」、喜ばしくないことが起こったら「身から出た錆」という姿勢を大切にし、人や周りを責めないように気を付けましょう。
あなたがポジティブなことを感じている限り、人生は素敵なものとなります。
神社に猫がいるスピリチュアルな意味
神社に猫がいるスピリチュアルな意味は、「神社と猫が協力して仕事をしている」ということです。
神社とは本来、神聖な場所ですが、神聖な場所に光を求めてくる人もたくさん来る場所なので、様々なエネルギーが出たり入ったりします。
神社に祀られている神様と猫の仕事には共通点があります。
双方が共に協力して仕事をしていると表現することができるでしょう。
「神社の猫は、神社の神様の分身」と表現されることもあるかもしれません。
いずれにしても、神社にいる猫は、神社に来る人々の迷えるエネルギーを導く神社の仕事を強化しているということです。
野良猫のスピリチュアルな意味
野良猫のスピリチュアルな意味は、良くないエネルギーがそこにあるということです。
良くないエネルギーとは、浄化が必要なエネルギーのことですが、野良猫は浄化が必要なエネルギーがある場所に集まる傾向があります。
この地球上のどこかの場所で浄化が必要であるということは、私たち人間が汚染をしている場合が多いです。
汚染とは、物質的な汚染とエネルギー的な汚染です。
野良猫は、基本的には浄化が必要な生き物なのではなくて、その地域の浄化を助けようとしている猫なのです。
野良猫の姿が自然の中にあれば、その辺りに何らかのエネルギーが溜まっている可能性が高く、人間が住む地域に野良猫がいる場合は、人間によって汚染された環境である、もしくは、疲れたエネルギーが集まっている地域である可能性が高いです。
同じ野良猫がいつもいるような自分が住んでいる環境では、気の流れが良くなるようなボランティアを検討する必要があるかもしれません。
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