犬に対してアレルギーがある場合や、犬を苦手と感じる場合のスピリチュアルな意味についてそれぞれお話します。
犬アレルギーで目・鼻・喉に違和感があるスピリチュアルな意味
犬アレルギーがあって、目や鼻、喉に違和感を感じるスピリチュアルな意味は、「表に出したくない何かを抱えている」ということです。
表に出したくない何かとは、「人には知られたくない気持ち」であったり、「育ってきた環境」や、「今悩みがあること」かもしれません。
もしくは「本音」や「本性」かもしれません。
いずれにしても、「自分自身の胸の内を明かすまい」と頑張っているようです。
本当は、辛い気持ちを深層に抱えている自分自身に気がつきたくないという思いがあるのでしょう。
泣くことができないでいるのかもしれません。
犬アレルギーで目に違和感がある場合は、今を生きる現実を否定的に捉えている可能性があります。
鼻に違和感がある場合は、生きることの大変さを感じている可能性があります。
喉に違和感を感じている場合は、正直な思いを言えずにいる可能性があります。
もしかすると、今の人生を心から楽しむことができていないのかもしれません。
大切なことは、過去の心の傷を癒すことです。
なぜなら、今の現実が理想的ではない理由は、過去に心が囚われているからです。
過去に囚われている心さえ解放することができれば、今の現実はすぐにでも変わるものです。
悲しかった思いや辛かった思いを癒すことを心がけましょう。
犬が苦手と感じるスピリチュアルな意味
犬が苦手と感じる場合は、「心を開くことが苦手である」というスピリチュアルな意味があります。
犬という生き物は、心の繋がりを本能的に求める動物です。
犬に見つめられている時は、心の繋がりを試みられている時です。
犬を苦手だと感じてしまうのは、心を開くことが苦手で、心の繋がりを無意識に避けてしまうからです。
過去に誰かに裏切られた経験があるのかもしれません。
「信じていたのに・・・」とか、「愛していたのに・・・」、でも自分が信じたり愛したりした分、愛されることがなかったと感じる経験があったのかもしれません。
いずれにしても、「もう誰も信じない・頼らない」というような頑なな心があるのかもしれません。
人には様々な人生がありますが、私たちは時に、「勘違い」をしていることに気がつかない場合があります。
「勘違い」していることに気がつかないから辛い気持ちになっていることも多いものです。
例えば、小さい子は、共働きで忙しくする両親とのアイコンタクトが少ないと、愛されていることを感じることがあまりできない傾向があります。
真実は、その両親は、その子を愛していなかったのではなく、幸せになる為にがむしゃらに頑張っていただけなのですが、「アイコンタクトが少ない=認められていない=愛されていない」と認識してしまう傾向があります。
確かに、その両親には、子供に十分な愛情表現をできなかったと言えるでしょうが、彼らが子供を愛していなかったかというと、そうとは言い切れません。
子供の為にも頑張っていた可能性の方が高いです。
「一緒に幸せになりたかった。その子を幸せにしてあげたかった」などの思いでがむしゃらに働いていた可能性の方が高いでしょう。
また、例えば、両親が忙しく仕事をしていた訳ではないけれど、愛されていると感じられなかった子がいるとしたら、その両親は心に深い傷を負っていて、自分を癒す時間を必要としていたのかもしれません。
いずれにしても、私たちはこのように、勘違いしてしまうことがよくあるのです。
これは、相手の立場になって物事を感じるということができない時に起こります。
私たちは常に成長する生き物ですから、過去のいつかにそのことができなかったとしても、全然いいのです。
問題ありません。
大事なことは、今から真実を知る勇気を出すことです。
私たちは、真実を知らないから傷つきます。
真実を知ることができれば、「あっ、そういうことだったのね」と割とさらっと癒しが済みます。
真実を知ることができれば、心を開くことができるようになり、心を開くことが得意になれば、犬を苦手と感じることもなくなるでしょう。
焦らずにじっくりと心を癒していきましょう。
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